香りプロジェクタの研究開発を通して,いくつかの問題点も見つかりました. その一つが,香りがユーザの鼻へ到達した時,瞬間的に強い風のようなものを感じてしまうということです.この「突風感」は,渦輪自身を構成する空気流によってもたらされるものです.空気砲から射出された渦輪はいつかは崩壊しますから,渦輪の自己崩壊を待てば突風感はなくなりますが,崩壊直前の渦輪の挙動は著しく不安定で,狙った位置に香りを届けることは困難です.
そこで我々は,渦輪が安定して飛行している間に,意図的に渦輪を破壊することにより,渦輪に含まれていた香りをその場に滞留させるという,新しい方法を思いつきました.ここでは,2つの渦輪を狙った位置で衝突させることにより渦輪の崩壊を引き起こします.渦輪が崩壊してから香りが鼻先に届くようにすると,渦輪が直接顔に当たる場合と比べて突風感ははるかに小さくなることが予想されます.自由空間中に香りの小さなスポットを生成するという意味で,SpotScents と名付けました.
我々は,まず2台の香りプロジェクタ(空気砲)を利用し,それぞれから射出した渦輪同士を衝突・崩壊させるシステムを構築しました.このシステム用に作成した空気砲ユニットは香りプロジェクタの「試作3号機」をベースにしたものですが,サイズがより大きくなっています.
それぞれの空気砲から射出された渦輪の飛行距離と所要時間をあらかじめ計測しておき,目標位置と2つの空気砲の距離差に相当する時間差をつけて射出することにより,2つの渦輪同士を衝突させることに成功しました.直接渦輪が顔面に当たる場合と異なり,ちょうど,柔らかいそよ風に乗って香りが漂ってくるような感触が得られています. SpotScents のコンセプトとデモシステムは,SIGGRAPH 2005 Emerging Technologies で発表し,技術展示を行いました.
(ここまでの内容は,ATRメディア情報科学研究所における研究開発です.)
渦輪衝突による香り場を生成するのに,香りプロジェクタを2台用意し,設置しなければならないようでは,場所やコストの面で負担を強いることになります.そこで,香りプロジェクタ1台で同様の効果を得ることが可能か,チャレンジしてみました.
1台の香りプロジェクタから2発の渦輪を連射し,1射目が遅く,2射目が速くなるよう空気砲の射出パラメータを調整します.2射目の渦輪が1射目の渦輪に追突した時,ある条件の下で渦輪は崩壊します.2台の空気砲を用いる場合の射出パラメータは,渦輪が最も安定して飛ぶ領域を使っていればよかったのですが,1台の連射による場合は1射目を遅くしなければならないので,渦輪の軌道が不安定になりがちで,技術的難易度は上がります.
実験の結果,予想通り渦輪衝突の成功率は下がるものの,連射の時間差によりある程度渦輪追突位置と香りの滞留範囲を制御可能であることが確認できました.同時に,解決すべき課題もいくつか明らかになりました.一つは,渦輪の軌道安定性であり,追突方式においては2つの渦輪の中心軸が完全に重なると「追い越し」の現象が発生し,逆に2つの渦輪が接触しないと互いに反発し,追突が発生しません.このため,高度な軌道安定性を確保した上で,わずかに軌道をずらせて連射するなどの方法が必要となってきます.
飲食店(パン屋,焼き鳥屋,うなぎ屋など)から漂ってくる食べ物の匂いは,私たちの食欲を刺激し,購買行動を促進します.こうした効果に着目し,デジタルサイネージに香りを付加する研究が行われていますが,私たちは,さらにそれを個人ごとに制御できたら面白いのではないかと考えました.すなわち,道を歩いている人に対して,ピンポイントでその人だけに香りを提示するというものです.香りは,人が行っているメインタスクをあまり邪魔することなく,背景的な情報提示手段としても使用できますので,歩行者に対してさりげなく情報を伝えることも可能になります.
当初私たちは,香りプロジェクタを使って直接歩行者の顔面へ渦輪をぶつける方式を試みました.しかしながら,歩行者の歩行速度推定値の誤差などにより,あまり命中率が上がりません.そこで,渦輪衝突による香り場生成方式を導入し,歩行者が目標地点に到達する直前に香り場を生成するシステムを構築しました.その結果,直接ぶつける方式と比較して,香り提示の成功率は向上しました.
下記のビデオは 香りプロジェクタのページの内容を含みますが,より最近の結果を追加しています.